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小学館 第49回 実践記録及びエッセイ 
『わたしの保育』で佳作を受賞しました!!

久地園 安井明先生が『わたしの保育』で佳作を受賞しました!!

image 小学館「新・幼児と保育」主催第49回実践記録及びエッセイ『わたしの保育』へ応募し見事佳作を受賞しました。
おめでとうございます!!!
[受賞の言葉]
この度、このような受賞の機会をいただき、本当に嬉しく思います。飼っていたカナヘビは冬眠させられるかどうか、そんな話題で盛り上がった末、捕まえた場所へ放しに行くことになりました。カナヘビが恐竜に似ていることから、恐竜に興味が広がっていく姿がありました。伝え合う言葉や思いで子どもたちはまた新たな物語をつくっていっています。子どもたちが、伝えた言葉と本当の気持ちとの間で葛藤している姿にいつも気がついてあげられる存在でありたいと思いながらも、気がつけずに過ぎてしまっていることもあります。自分自身が気づけなかったところを気づかせてくれる存在が私にとって、職場の先生方や子どもたち、保護者の方々、そして物語の中心となったみかん組の子どもたちです。これからも子どもたちとともに伝え合い、育ち合っていける関係を築いていきたいと思っています。いつも支えてくださる皆様、本当にありがとうございます。  


『伝え合うことでつながるストーリー』

川崎認定保育園ぶどうの実 久地園 安井 明

4月、みかん1組14名、はじめての5歳児クラスの担任となった。「思ったことをお互いに伝え合う」ことを大切にしたいと思い、毎日サークルタイムの時間をもつことを決め、新年度がスタートした。

〈おたまじゃくしとの出会い〉
 子どもたちが外遊び中に、オタマジャクシを発見。手で掬ったりしながら10匹くらいペットボトルに入れて帰ってきた。「手がはえてかえるになるんだよ」とオタマジャクシを囲んで知っていることを口にする子どもたち。2~3日して、さすがに餌もあげずにこのままにしておいてはいけないと思い、おたまじゃくしをどうするか子どもたちと話し合った。「餌がないからかわいそう」「このまま飼いたい」と意見を出し合った結果、「かわいそうだから返してあげる」という子が多かったため、次の日とってきた場所に返しにいくことにした。しかし、この時、大人の側も含めて、このままにしていてはかわいそうだから、返しに行こうという雰囲気に包まれていたように思う。

〈飼いたい気持ち〉
 後になって、Yはこの結果に納得できずに、帰り際にお母さんの前で「かえるになるまでかいたかった」と泣きながら伝えていたことが園長からの報告でわかった。その後、Yに気持ちを聞くと「みんながかえしたほうがいいっていうから僕は我慢したんだ」と答えてくれた。それから数日間、このまま終わりにしていいのかなという気持ちが残った。同時に、今度またオタマジャクシを見つけたら子どもたちはどうするだろうかという疑問も浮かんできた。そして、もう一度子どもたちを連れてオタマジャクシに会いにいった。すると何事もなかったかのように「もってかえっていい?」と聞く子どもたち。今度はどうするのか、もう一度話し合ってみようと思い、ペットボトルに入れて持ち帰ることにした。午後のサークルタイムでの話し合いで、「カエルになるまで飼いたい」とみんなに伝えるY。すると「ほんとに飼えるかな?」「えさがあれば飼えるかも」と前回とは違ったかたちで話が進んでいった。このとき、Yだけでなく、本当はみんな飼いたいと思っていたのだということを知った。同時に自分の気持ちと周囲の意見との間で折り合いをつける術を身につけていっていることに成長も感じた。しかし、みんなの意見に合わせること、その場の空気を読むこと、そういう場面というのは小学校にあがってからもその先も数えきれないくらい経験していくと思う。その中でも自分の意見を言ってもいいんだと思えること、相手に自分を伝えようとする気持ちをしっかりもっていてほしいなと感じた。そして、それができる雰囲気や受けとめられる場を与えられるのも今なのではないかと感じるきっかけにもなった。
「かえるになるまで飼ってみよう!」こうしてオタマジャクシと子どもたちの生活がはじまった。そして、気持ちを言い合える環境にしていくために自分自身もまた子どもとの関わりで葛藤していく日々がはじまった。

〈オタマジャクシを育てる使命〉
 飼うと決めてから子どもたちに園長から水槽のプレゼントがあった。図鑑にとびついて、「鰹節とか金魚のエサをたべるみたい」「パンやごはんもたべるみたいだよ」とオタマジャクシについて調べる日々が続いた。「鰹節あるか調理のM先生にきいてみよ」「残ったパンとかとっておいてもらおうよ」とエサを用意する手段も自分たちで考え出す姿も見られるようになった。エサに飛びつくオタマジャクシをかわいがってついあげ過ぎてしまうこともあったが、水替えもお当番さんが交代で、毎日するように決めた。年下の子もオタマジャクシを観察できるように水槽の前に椅子を並べて「オタマジャクシシアター」というごっこ遊びもはじまった。そうしてあっという間にとってきた15匹のオタマジャクシが蛙に成長した。ここで蛙をどうするか、また子どもたちと話し合いをした。「蛙になったからかえしてあげる!」この時、多くの子どもたちの中ではひとつの達成感があったようだ。オタマジャクシを放しに行くと、寂しがる子どもたちの姿があった。でも、新しいオタマジャクシを発見。「よし、また蛙にしてあげよう!」と再び闘志を燃やしたY。その闘志に押されるかたちでそのうち2匹を持って帰ることにした。この2匹もまた蛙に育てあげ、大きい方を「ぴょんぴょん」、小さい方を「りぼん」と名付けた。名前をつけると愛着がわいてきて、「ぴょんぴょんはどこかな?」とかわいがる様子が見られた。しかし、蛙になると生きたエサしか食べないという問題がでてきた。そこで飼うのは難しいんじゃないかという雰囲気になってきた。Yは蛙に育てることが自分の使命と感じていたようで、蛙になると「生きたエサしか食べないから返してあげよう」と返すことには賛成の様子だった。すると今度はHが「もっと大きくなるまで飼ってみたい」と言った。それにKも続いた。「そんなにいうならかってもいいよ」とY。みんなの中には愛着も出てきて返したくないという気持ちがあったのかもしれない。しかし、この後は飼いたいと主張したHとKの二人と他のみんなとの間で「育てよう」という気持ちへの温度差が出てきていたように感じる。私自身は正直なところ2人と同じように飼ってみたいという気持ちになっていて、蛙の食べるエサを調べたり、水槽の掃除をしたり、子ども以上に夢中になって世話をしていた。HとKにしても最初はエサをとってくるとはりきっていたが、ダンゴ虫など自分たちがとってくるエサは食べてはくれず、次第にエサをあげることもなくなっていた。そして2匹はついに死んでしまった。サークルタイムで、原因をちゃんとみんなで話し合いたかったのだが、「○○がさわりすぎたんだ!」「いじめてるとこみたもん」と年下の子を一方的に責める言葉が飛び交った。そのことが自分の中では許せず、命の大切さ云々を一方的に子どもたちに伝えるかたちになってしまった。「また新しい蛙をとってきて飼いたい」という子もいたが、「ぴょんぴょんやりぼんの代わりにはならないから、先生はもう飼いたくない」と蛙と子どもたちとのストーリーを切ってしまうかたちとなった。今振り返ると、自分自身がこのときは感情的になり、大切にしていた何でも言い合える雰囲気を自ら壊してしまっていたと反省する。命の大切さを伝えることを意識しすぎるあまり、今の子どもの気持ちを受け止めるという大切なことを見失っていたように思う。

〈カナヘビとの出会い〉
 蛙がいなくなった保育室。蛙の水槽を洗ってしばらくたったある日、公園から帰る途中でトカゲを発見したM。「あ、とかげだ!」。かけ出すMにみんなが反応した。「そっちいったよ!」、「○○あっちからつかまえて!」とトカゲとりに夢中になる子どもたち。蛙のことはなかったかのように、私もまた子どもと一緒にトカゲを追いかけていた。苦戦する子どもを尻目にトカゲを捕まえると、
「せんせいすごい!やったね!」「ふくろいれてもってかえろ!」と目を輝かせるみんなの姿があった。午後のサークルタイムではもちろんトカゲの話題となった。「トカゲをどうするか」ここでも話し合いをした。苦手な子と好きな子にはっきり分かれ、その日は結論がでなかったが、数日部屋に置いてみることにした。併設している学童の先生から情報をもらい、「カナヘビ」という種のトカゲでメスであることがわかった。「かなちゃん」とすぐに名前がついた。そして、蛙と同じように生きた虫しか食べないこともわかった。
 数日後、「カナヘビをどうするか」また話し合いをした。すると「蛙のときはエサがとれなくてしなせちゃったから、かうのは難しいよ」とS。「そんなことわかってるけど、かいたいものはかいたい」とM。ちょうど半分に意見が割れた。すると今度はRから「いつもわたしたちにばかりきくけど、せんせいはどうおもうの?」という質問がとんできたのだ。何でも言い合える雰囲気を作りたいと思う私にとって、それは自分も含めてのことなのだとRから教えられたような気がした。そして、子どもたちの中に本当の意味で入り込めたような気がしてうれしかった。
image 一人の意見として「死んでバイバイはやだけど、せんせいもかってみたい」と伝えた。すると「じゃあ、せんせいもエサとってくるんだよ」とH。自分の意見も含めカナヘビを飼うことに決まった。誰に対しても気持ちを伝えようとすること、伝えたことを、伝えようとした気持ちを受け止められること。年間を通してのテーマではあるが話し合うこと、伝え合うことにきっと終わりはないように思う。蛙と子どもたちの出来事も途切れたようで、こうしてカナヘビへとつながっている。伝え合うことを続けていくことできっとストーリーは無限に広がっていくのだと思う。子どもたちの「今」を受け止めて、一緒に物語を築いていきたい。それがきっと、子どもたちの成長へとつながっていくだろう。

小学館 保育ネット

こちらからも過去5年分の入賞作品がご覧いただけます。

http://family.shogakukan.co.jp/teachers/youjitohoiku/hoiku/index.html